月別アーカイブ: 2017年4月

マジメかつシュール。「ふじのくに地球環境史ミュージアム」の常設展

今回の庭ノートは、静岡市駿河区にある「ふじのくに地球環境史ミュージアム(Museum of Natural and Environmental History, Shizuoka)」についてです。地球環境史(人と自然の関係の歴史)から未来の豊かさとは何かを考えるミュージアムです。

ふじのくに地球環境史ミュージアム

2017年3月5日の庭ノートの記事で、企画展「静岡のチョウ 世界のチョウ」を紹介しましたが、このミュージアムは常設展もとても興味深いです。

最近静岡県で増えているチョウについて。企画展「静岡のチョウ 世界のチョウ」

展示物のボリュームはそんなに多くありませんが、どれもはっとさせられる切り口です。解説文やラベルは控えめになっていて、標本や資料をじっくり見て、考えることを楽しむミュージアムになっています。

私が気に入ったのは「骨の教室」です。脊椎動物たちの教室なのですが、この座席表、すごい生徒です。

骨の教室の座席表の写真

骨の教室の座席表

着席している様子がシュールすぎます。ヒトも動物であることを思い知らされます。

骨の教室の生徒たちの写真

骨の教室の生徒たち

廃校になった県立高校をリノベーションした博物館なので、外観は学校そのまま、内観も学校風味です。

静岡県の海を紹介している展示室には、チリメンモンスターの標本もあります。

ちりめんじゃこに混入した海洋生物の写真

ちりめんじゃこに混入した海洋生物

チリメンモンスターとは、イワシの稚魚の加工物である「しらす干し」や「ちりめんじゃこ」の中に混入した海洋生物のことです。混入した海洋生物を探す活動は昔から行われていましたが、「きしわだ自然友の会のメンバー」がこれを「チリメンモンスター(チリモン)」と命名したそうです。ポケモンみたいに熱狂的なファンがいます。

疲れたら、図鑑カフェで休憩できます。自然史や地球環境史にまつわる図鑑があり、お茶を飲みながら図鑑を読むことができます。

図鑑カフェの写真

図鑑カフェ

展示の最後には、環境リスクを知り、そのうえで、豊かな暮らしとは何かを考えるコーナーがあります。

その中に、こんな問題提起がありました。

どこに住めば豊かに暮らせる?

どこに住めば豊かに暮らせる?

「どこに住めば豊かに暮らせる?」

「細長い国土を持つ日本は、地域ごとに特色ある地形と四季が育む豊かな自然があります。一方、人口が集中する都会は、豊富な情報や整備された環境があります。豊かに暮らすにはどちらに住むのが良いのでしょうか?」

田舎と都会、どちらにもそれぞれのよさがあり、私はどちらの恩恵も享受したいです。個人的には、田舎と都会の間に住めば豊かに暮らせるのではないかと思っています。私のこのホームページのテーマも、「富士山麓の静岡県富士宮市を拠点に、田舎と都会の間で自然との接点をさがす」です。

静岡県は、標高3000メートルを超える日本一高い山・富士山と、水深2400メートル以上の日本一深い湾・駿河湾を有しています。この高低差が多種多様な自然環境を生み出しています。自然資源が豊富で、四季の移り変わりを肌で感じることができ、環境と調和のとれた生活をすぐ実践に移すことができます。

※ちなみに、日本一高低差の大きい市は、静岡県富士宮市で、その高低差は3741メートルです。

一方で、新幹線で一時間の場所に、中途半端な都会ではなく世界有数の都市である東京があり、質の高い文化や情報を享受できます。さらにそこから世界中の街へ行くことができます。

自然災害のリスクはありますが、それは日本中世界中、どこにいても起こり得ることです。

というわけで、田舎と都会の間の静岡県は、バランスがとれていて、豊かに暮らすにはなかなかおすすめな場所です。また、静岡県は民力や気候の面でも平均的な日本の像に最も近い県とされていて、そのような意味でも住みやすいのではないかと思います。

しかし、だれもがさまざまな事情を抱えていて、どこに住むかを選べる人は少ないのではないかと思います。今住んでいる場所での生活を、どのように自然と調和のとれたものに変えていくか、豊かと思えるものに変えていくか、ということが重要になってくるのでしょうか。

おすすめの本

日下部 敬之, きしわだ自然資料館, きしわだ自然友の会(2009)『チリメンモンスターをさがせ!』 偕成社.

ちりめんじゃこの写真からチリモンをさがす、子ども向けの本ですが、大人も楽しめます。ちりめんじゃこを食べるとき、タコやイカの赤ちゃんをさがしたことを思い出します。海洋生物の多様性を知るための楽しい導入になります。

最近静岡県で増えているチョウについて。企画展「静岡のチョウ 世界のチョウ」

ウラシマソウ(浦島草):晩春の庭に咲く超個性派の性転換植物

今回の庭ノートは、晩春に我が家の庭に咲く超個性派植物、ウラシマソウ(浦島草)についてです。独特な佇まいでその場を異空間にしてしまう上、性転換植物でもあるという、なんとも魅力的な植物です。

我が家の庭に咲く花は、季節によってキャラクターが全然違います。大まかにいうと、春に咲く花はふわっとした感じ、夏に咲く花ははつらつとした感じ、秋に咲く花はしっとりとした感じ、冬に咲く花はきりっとした感じです。

春に咲く花は全体としてふわっとした感じなのですが、時期によってさらにキャラクターを細分化することができます。

極めて個人的な印象になりますが、春前半に我が家の庭に咲く花は、素人ウケする優等生です。例えば、桃、モクレン、レンギョウ、桜、菜の花、アネモネ、ハナニラ、スイセン、ムスカリ、チューリップ、パンジー、ビオラ、など。

そして、これまた極めて個人的な印象になりますが、春後半に我が家に咲く花は、玄人ウケする個性派です。

例えば、クマガイソウ。

クマガイソウの写真

クマガイソウ

例えば、エビネ。

エビネの写真

エビネ

例えば、ホウチャクソウ。

ホウチャクソウの写真

ホウチャクソウ

その中でも、ひときわ異彩を放っている超個性派がウラシマソウです。

ウラシマソウの写真

ウラシマソウ

ウラシマソウ(Arisaema urashima)は、日本原産で、サトイモ科テンナンショウ属の多年草です。肉穂花序(にくすいかじょ)の先端の付属体が細く糸状に伸びていて、その姿を、浦島太郎の釣り竿の釣り糸に見たてて、この和名がついたといわれています。

英名は「コブラ・リリー・ウラシマ(cobra lily Urashima)」です。

地下にはサトイモに似た球根があり、春になると芽を伸ばして、傘のような大きな葉を広げます。そして、仏炎苞(ぶつえんほう)といわれる黒褐色の苞を開きます。

静岡県にある私の庭では、4月下旬から5月上旬にかけて開花します。耐陰性が強く、乾燥を嫌うため、木の陰など、少し薄暗いところに生えています。

子どもの頃、庭で遊んでいて、偶然このウラシマソウを見つけてしまったときの驚きといったらありません。出会ってはいけないものに出会ってしまったというか、見てはいけないものを見てしまったというか、何か異質なものが存在していてそこだけ時空がゆがむというか。

しかも、こんな集団に出くわしてしまったら「うわぁぁぁどーしよー」って感じです。

ウラシマソウの群生の写真

ウラシマソウの群生

しかもこのウラシマソウ、性転換するんです!

ウラシマソウなどのテンナンショウ属の植物は、一般に性転換することで知られています。性転換は、成長や栄養の状態によって起こり、小型の個体は雄性となり、大型の個体は雄性から雌性に転換していきます。

ウラシマソウの雌性と雄性の写真

ウラシマソウの雌性と雄性

黒褐色の仏炎苞は一見花のように見えますが、本来の花はこの仏炎苞の中の付属体の下についています。

ウラシマソウに中を見せてもらいました。

ウラシマソウの雄花と雌花の写真

ウラシマソウの雄花と雌花

上の写真の左が雄性、右が雌性です。小型の個体では雄性となって、仏炎苞の内部の内穂花序に雄花群を形成します。大型の個体では雌性となって、肉穂花序に雌花群を形成します。

雄花から雌花への花粉の受粉はキノコバエの仲間によって行われます。キノコバエは、雄性の仏炎苞の開口部から進入し、雄花群の花粉を体につけて、仏炎苞の下にある隙間から脱出します。

しかし、雌性の仏炎苞には脱出できる隙間がありません。開口部から進入したキノコバエは、出口を探して雌花群をうろついている間に受粉させられ、脱出できずに死んでしまうこともあるそうです。

ウラシマソウの付属体が細長く糸状に伸びたもの(浦島太郎の釣り竿の釣り糸)については、なぜこのような構造になっているのか不明だそうですが、一説によると、先端が地面や草などに接していて、これをたどって虫が仏炎苞の中に入ってくるのではないかといわれています。

だとしたら、これは本当に釣り糸だということになります!

モンブランがどれかわからない!モンブランを探してフランス領のサレーヴ山へ行く

今回の庭ノートは、スイスのジュネーブからです。モンブランを探してフランス領のサレーヴ山へ行ったお話です。

ジュネーブはスイスの西部、レマン湖の南西岸にある都市で、フランス語圏に属し、国連ヨーロッパ本部、国際赤十字など、さまざまな国際機関が置かれている街です。

スイスの国旗の写真

私は静岡県富士宮市で生まれ育ったため、いつも富士山が身近にあり、日本一高い富士山を基準に自分の居場所を確認する習慣があります。

1月は富士山がよく見えるって本当!?2017年1月の富士山観測結果+写真集

そのため、知らない場所へ行ってまず最初にすることは、その土地で一番高い山を探すことです。日本国内を移動したとき、その土地のランドマークになるような山を見つけ、しかもそれが郷土富士だったりするとほっとします。

「アルプスの少女ハイジ」の22話に、デーテ叔母さんに騙され、クララの遊び相手としてフランクフルトに連れてこられたハイジが、おじいさんやペーターやヤギのユキちゃんと過ごしたアルムの山での生活が恋しくなって、山を探すというシーンがあります。

ロッテンマイヤーさんから厳しい指導を受け、慣れない都会の生活で息苦しくなったハイジを見て、クララはお屋敷の屋根裏に上がれば山が見えるかもしれないと教えてくれます。しかし屋根裏から見えたのは石の壁と屋根ばかり。ハイジはがっかりしますが、セバスチャンから高い教会の塔があると聞き、お屋敷を飛び出します。

困難の末、なんとか教会にたどり着いて塔に上るのですが、苦労して上った塔から見えたのはフランクフルトの街並みだけ。ハイジは失望します。どこを見ても建物ばかりで、ハイジが見たかった山や谷や木や草やお花畑はどこにもなかったのです。

東京で生活したときは、まさにアルプスの少女ハイジ状態でした。ハイジと同じ心境になり、富士山を探すために高い所へ行きました。教会の塔に走って上るのではなく、ビルの40階にエレベーターで昇りましたが。

建物ばかりでがっかりしましたが、関東平野とはこういうことなのかと驚きもました。唯一の救いは、ハイジと違ってはるか遠くに富士山の頭が見えたことです。自分が富士山の北東にいることが確認できました。

そんなわけで、初めてジュネーブを訪れて真っ先にしなければならないことは、この辺りで一番高い山を見つけてほっとすること、つまりモンブランを探すことです。

モンブラン(Mont Blanc)は、フランスとイタリアの国境に位置する、ヨーロッパアルプスの最高峰です。標高4810.9メートルで、富士山よりも高い山です。

曇っていたり、地元の方に聞いてもわからなかったりで、なぜかモンブランがどれか判明しないまま日にちが経ちました。そんな時、サレーヴ山へ行ってみるといいと教えてもらい、登ってみることにしました。教えてくれたのはセバスチャンではありません。

サレーヴ山(Mont Salève)は、ジュネーブ市街のどこからでも見える、標高1379メートルの縞々の山です。フランス領にありますが、ジュネーブから国境を越えて簡単に行くことができます。

私が滞在してした部屋からも見えます。

滞在していた部屋から見たサレーヴ山の写真

滞在していた部屋から見たサレーヴ山

ジュネーブのコルナヴァン駅(Gare de Genève-Cornavin)から8番バスに乗って30分程度、終点のヴェリエ・ドゥアン (Veyrier-Douane)まで行きます。

バスを降りて、歩いてスイスとフランスの国境を通過します。「Téléphériqu du Salève」の標識に従って、ロープウェイ乗り場まで歩きます。

サレーヴのロープウェイの看板の写真

サレーヴのロープウェイの看板

歩いて10分ほどでロープウェイ乗り場に着きます。ロープウェイに乗って5分ほどで山頂に到着です。

サレーヴのロープウェイのロープの写真

サレーヴのロープウェイのロープ

ロープウェイを降りたら、「パノラマ・デュ・モンブラン(Panorama du Mont-Blanc)」へ急ぎます。標識に、歩いて15分とあります。

パノラマ・デュ・モンブランへ

パノラマ・デュ・モンブランへ

地味に険しい道のりで、本当に15分で着くのか!?という感じです。

パノラマ・デュ・モンブランへの道の写真

パノラマ・デュ・モンブランへの道

ちょうど15分でパノラマ・デュ・モンブランに着きました。しかし、雲がかかっていて、残念ながらモンブランを見ることはできませんでした。がっくし。

パノラマ・デュ・モンブラン

パノラマ・デュ・モンブラン

モンブランは見えませんでしたが、ロープウェイ乗り場の近くからは、ジュネーブ市街とレマン湖が一望できました。下の写真の真ん中あたりにレマン湖が見えます。その左側に広がるのがジュネーブの街です。自分がどこをどう動いていたのかわかり、塔の上の視点を得ることができました。

サレーヴ山頂から見たレマン湖とジュネーブの街の写真

サレーヴ山頂から見たレマン湖とジュネーブの街

その後、モンブランがどれかようやく判明しました。なんと、滞在していた部屋から見えていました。知らないってこわいです。はるか遠く、山々の向こうに見える真っ白い山がモンブランだそうです。

滞在していた部屋から見たモンブランの写真

滞在していた部屋から見たモンブラン

ハイジごめん!屋根裏に上らなくても、教会の塔に上らなくても、サレーヴ山に上らなくても、自分の部屋からモンブラン見えてました。

自分がモンブランの北西にいることが確認できました。

おすすめ

アルプスの少女ハイジ リマスターDVD-BOX

 

ハイジが山を探すのは、第22話「遠いアルム」です。

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嗅覚と触覚で楽しむ。スイス・ジュネーブの植物園の「香りと感触の庭」

今回の庭ノートは、スイスのジュネーブからです。ジュネーブの植物園(Les conservatoire et jardin botaniques de la Ville de Genève)の中にある、「香りと感触の庭(Le jardin des senteurs et du toucher)」についてです。

ジュネーブはスイスの西部、レマン湖の南西岸にある都市で、フランス語圏に属し、国連ヨーロッパ本部、国際赤十字など、さまざまな国際機関が置かれている街です。

スイスの国旗の写真

ジュネーブの植物園は、国連ヨーロッパ本部の隣にあります。とても学術的な植物園で、植物好きにはたまらない空間です。テーマ別にいくつかのエリアに分かれていて、レトロなメリーゴーラウンドがあったり、小動物がいたりして、遊んだりくつろいだりできる庭にもなっています。

ジュネーブの植物園のマップの写真

ジュネーブの植物園のマップ

ジュネーブの植物園のメリーゴーラウンドの写真

ジュネーブの植物園のメリーゴーラウンド

植物園の北東の端に「香りと感触の庭(Le jardin des senteurs et du toucher)」があります。嗅覚と触覚で楽しむ庭です。もっと適切な日本語訳があるかもしれませんが、日本語での通称が見つからなかったので、とりあえず私は「香りと感触の庭」と呼んでいます。

「香りと感触の庭(Le jardin des senteurs et du toucher)」は、下の写真の道をまっすぐ歩いていった突き当たり右手です。

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭への道の写真

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭への道

とても静かでおだやかな庭です。

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭の写真

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭の写真

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭

ここでは、植物の香りを嗅いだり、触って感触を確かめたりすることができ、視覚障害者、体の不自由な方、子どもたちも、楽しんだり学んだりすることができます。

視覚障害者が庭の全体像を把握するための触図や、点字の説明もあります。

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭の触図の写真

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭の触図

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭の点字の説明の写真

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭の点字の説明

花壇は石とコンクリートで作られていて、地面よりも数十センチ高くなっています。花壇のへりに奥行きがあるので、ここに腰掛けて植物に触れたり香りを嗅いだりすることができます。

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭の写真

ジュネーブの植物園の香りと感触の庭

4月上旬のこの時期にあった植物の中で、一番感触がよかたのは、ラムズイヤー(Stachys byzantina)です。ラムズイヤーは英語で「子羊の耳」という意味です。その名の通り、ふわふわでなめらかで、私の個人的な感覚になりますが、ウール特有のヌメリ感まであります。

ジュネーブの植物園のラムズイヤー(Stachys byzantina)の写真

ジュネーブの植物園のラムズイヤー(Stachys byzantina)

そして4月上旬のこの時期、一番存在感があったのは、ヤマブキ(Kerria japonica)です。そんなに香りは強くないのですが、ほのかにバラの香りといいますか、バラ科を思わせる香りがします。

ジュネーブの植物園のヤマブキ(Kerria japonica)の写真

ジュネーブの植物園のヤマブキ(Kerria japonica)

日本原産の花が美しく咲いていてうれしく思いました。私の庭にあるヤマブキは八重ではなく一重で、花が咲くのはもう少し遅い時期です。「花はヨーロッパに行くとみんな八重になって縮れて帰ってくる」と知人が言っていたのを思い出しました。

目で楽しむだけという庭が多い中で、香りを嗅いだり、触って感触を楽しんだりできる庭は、だれにとってもうれしいものだと思います。

五感をフル活用する庭づくりを目指す私にとって、とても勉強になる庭でした。

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逆に意味が深すぎる!?スイス・ジュネーブの植物園、禅の庭の「知足の蹲踞」のありえない置き方

今回の庭ノートは、スイスのジュネーブからです。ジュネーブの植物園(Les conservatoire et jardin botaniques de la Ville de Genève)の中にある禅の庭(Le Jardin Zen)で、ありえない置き方をされていた「知足の蹲踞(つくばい)」についてです。

ジュネーブはスイスの西部、レマン湖の南西岸にある都市で、フランス語圏に属し、国連ヨーロッパ本部、国際赤十字など、さまざまな国際機関が置かれている街です。

スイスの国旗の写真

ジュネーブの植物園は、国連ヨーロッパ本部の隣にあります。とても学術的な植物園で、植物好きにはたまらない空間です。テーマ別にいくつかのエリアに分かれていて、すばらしい温室もあります。

ジュネーブの植物園のマップの写真

ジュネーブの植物園のマップ

ジュネーブの植物園の温室の写真

ジュネーブの植物園の温室

植物園の一角に、禅の庭(Le  Jardin Zen)があります。詳細はわからないので間違った情報だったら申し訳ないのですが、2015年5月13日~10月18日に行われた「Plantes & Spiritualités」展で作られた庭が、そのまま維持されているようです。

禅の庭の入り口の看板の写真

禅の庭の入り口の看板

「瞑想の場所」ということですが、私にとっては「迷走の場所」でした。

赤い鳥居をくぐると枯山水があり、その向こうに五重塔のような東屋があります。池や石灯籠、ちょっとした竹藪もあります。

ジュネーブの植物園の鳥居

ジュネーブの植物園の鳥居

ジュネーブの植物園の石庭の写真

ジュネーブの植物園の石庭

ジュネーブの植物園の池と石灯籠の写真

ジュネーブの植物園の池と石灯籠

水、石、灯籠、砂利、生垣、竹といった日本庭園の要素がとにかくに詰め込まれている感じで、私にとっては組み合わせが斬新すぎて落ち着かない空間でした。何か事情や経緯があってこのような形になったのかもしれませんし、とてもきれいに作られた庭なのですが、違和感満載でした。

極めつけはこの蹲踞です!マンホールの蓋の上に無造作に置いてあって、しかも砂利が入っています!これは、石庭で有名な京都・龍安寺の茶室「蔵六庵」の露地にある「知足の蹲踞」ですよね!?

ジュネーブの植物園の「知足の蹲踞」の写真

ジュネーブの植物園の「知足の蹲踞」

この写真を妹に送ったところ、偶然にも、ちょうど同じ時に妹が京都の龍安寺に行っていて、本物の「知足の蹲踞」の写真を送り返してくれました。

こちらが正解の写真です。

京都の龍安寺の「知足の蹲踞」の写真

京都の龍安寺の「知足の蹲踞」

蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のことです。

この蹲踞は一見「五・隹・疋・矢」の文字に読めますが、水をためておくための中央の四角い穴を漢字部首の「口」と見ると、「吾唯足知」(ワレタダタルヲシル)と読めます。「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を謎解き風に図案化したものだそうです。

龍安寺の石庭の15個の石は、一度にすべての石を見ることができない配置になっているということで有名です。庭のどの位置から眺めても、15個の石のうち1個は他の石に隠れて見ることができません。15という数は十五夜=満月=完全を意味するとされています。物事は完成した時点から崩壊が始まるという思想のもと、わざと不完全な配置にしたといわれています。

「知足の蹲踞」は、石庭の石を一度に14個しか見ることがきないことを、不満に思わず満足する心を持ちなさいという戒めの意味が込められているともいわれています。

まさか、このジュネーブの植物園の「知足の蹲踞」、実はすごい深い意味があって、「マンホールの蓋の上に無造作に置かれ、水ではなく砂利を入れられたとしても、自分はすでに満ち足りた存在です。足りない部分にばかり目が行くと、それが苦しみの根源になるのです。あなたも足るを知りなさい。これでいいと思えれば、その時点で迷いや苦しみから解放されるのです。」という戒めのために、あえてこのような置き方がされているのでしょうか!?

蹲踞の写真を見て最初は爆笑していた妹と、ひとしきり議論になりました。

「でもこれ、実は足るを知る例なんじゃない!?」

「だったら逆に深すぎる」

「こんなでも満たされているということを身をもって教えてくれているのだとしたら」

「笑えなくなってきた。でも置き方間違いだから」

「1周回ったね」

「でも『私、本当はこんなんじゃない!』って言わない的な教えだったら」

「切なすぎるね」

「龍安寺の人がこれ見たら、これで足りてるんですって言うのかな」

「違うことも含めてあっているって言いそうだよ」

「禅おそるべし」

「禅ZEN。やっぱ置き方おかしいから」

「2周したね」

というような感じで、「いや、待てよ?」が半端なく、5周くらいしました。

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スイス・ジュネーブの大噴水と山崎正和氏の「水の東西」

今回の庭ノートは、スイスのジュネーブからです。レマン湖の大噴水を見て、高校の国語の教科書に載っていた山崎正和氏の「水の東西」を思い出したというお話です。

ジュネーブはスイスの西部、レマン湖の南西岸にある都市で、フランス語圏に属し、国連ヨーロッパ本部、国際赤十字など、さまざまな国際機関が置かれている街です。

スイスの国旗の写真

ジュネーブの有名なランドマークの一つに、大噴水(Jet d’Eau)があります。レマン湖からローヌ川へ流れ出る地点にあり、世界で最も大きい噴水の一つです。放水のスピードは時速200キロメートルで、高さ140メートルまで噴出されます。

こちらはジュネーブのイギリス公園(Jardin Anglais)から見た大噴水です。

ジュネーブのイギリス公園から見た大噴水の写真

ジュネーブのイギリス公園から見た大噴水

噴水の右手に見えるヨットのサイズと比較すると、噴水がどれだけ大きいものかがわかると思います。ヨーロッパの乾燥した気候にとても合っていて、見ていて気持ちのよい風景です。日本で同じことをしてもこの清潔感は保てないのではないかと思います。

イギリス公園は、イギリス式造園法を用いて作られたため、そのように呼ばれているそうです。入り口にはジュネーブがスイス連邦に加盟したことを記念して建てられた、剣と盾を持った二人の女神のブロンズ像の国家記念碑(Monument National)があります。

ジュネーブの国家記念碑の写真

ジュネーブの国家記念碑

その近くには有名な花時計がありますが、改装中で、残念ながら見ることができませんでした。

改装中の花時計の写真

改装中の花時計

イギリス公園から歩いて10分ほどのところにサン・ピエール大聖堂(La cathédrale protestante Saint-Pierre de Genève)があります。宗教改革の指導者の一人、ジャン・カルヴァン(Jean Calvin)が本拠とした教会として知られています。大聖堂の中では、カルヴァンが使用した椅子などを見ることができます。

ジュネーブのサン・ピエール大聖堂の写真

ジュネーブのサン・ピエール大聖堂

5スイスフランを払うと、塔に上ることができます。狭く険しい道のりです。

サン・ピエール大聖堂の北塔への階段の写真

サン・ピエール大聖堂の北塔への階段

サン・ピエール大聖堂の北塔から見た大噴水です。

ジュネーブのサン・ピエール大聖堂の北塔からみ見た大噴水の写真

ジュネーブのサン・ピエール大聖堂の北塔から見た大噴水

ジュネーブの街並みの向こうにレマン湖と大噴水を望むことができ、とても美しい眺めです。

大噴水を見ていて、高校の国語の教科書に載っていた山崎正和氏の「水の東西」という評論を思い出しました。

流れをせき止め時を刻む「日本の鹿おどし」と、音を立てて空間に静止している「西洋の噴水」を比較し、流れる水と噴き上げる水、時間的な水と空間的な水、見えない水と目に見える水、として、日本人独特の感性について考察しているものです。

あまりに印象深かったので、今でもこの教科書を持っています。「水の東西」は、山崎正和(2007)『混沌からの表現』ちくま学芸文庫.に収められています。

以下、抜粋です。

西洋の空気は乾いていて、人々が噴き上げる水を求めたということもあるだろう。ローマ以来の水道の技術が、噴水を発達させるのに有利であったということも考えられる。だが、人工的な滝を作った日本人が、噴水を作らなかった理由は、そういう外面的な事情ばかりではなかったように思われる。日本人にとって水は自然に流れる姿が美しいのであり、圧縮したりねじ曲げたり、粘土のように造形する対象ではなかったのであろう。

言うまでもなく、水にはそれ自体として定まった形はない。そうして、形がないということについて、おそらく日本人は西洋人と違った独特の好みをもっていたのである。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏づけられていた。それは外界に対する受動的な態度というよりは、積極的に、形なきものを恐れない心のあらわれではなかっただろうか。

見えない水と、目に見える水。

もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのにもはや水を見る必要さえないといえる。ただ断続する音の響きを聞いて、その間隙に流れるものを間接に心で味わえばよい。そう考えればあの「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだといえるかもしれない。

ジュネーブの大噴水を見ていて、水をこのように扱ったり鑑賞したりするという発想自体が、そもそも自分にはないことに気づきました。どうやら私も日本人独特の感性を持っていて、「水の東西」にあるように、流れる水、時間的な水、目に見えない水に心を動かされるようです。

おすすめの本

山崎正和(2007)『混沌からの表現』ちくま学芸文庫.

「水の東西」が収められています。