今回の庭ノートは、スイスのジュネーブからです。ジュネーブの植物園(Les conservatoire et jardin botaniques de la Ville de Genève)の中にある禅の庭(Le Jardin Zen)で、ありえない置き方をされていた「知足の蹲踞(つくばい)」についてです。
ジュネーブはスイスの西部、レマン湖の南西岸にある都市で、フランス語圏に属し、国連ヨーロッパ本部、国際赤十字など、さまざまな国際機関が置かれている街です。
ジュネーブの植物園は、国連ヨーロッパ本部の隣にあります。とても学術的な植物園で、植物好きにはたまらない空間です。テーマ別にいくつかのエリアに分かれていて、すばらしい温室もあります。
植物園の一角に、禅の庭(Le Jardin Zen)があります。詳細はわからないので間違った情報だったら申し訳ないのですが、2015年5月13日~10月18日に行われた「Plantes & Spiritualités」展で作られた庭が、そのまま維持されているようです。
「瞑想の場所」ということですが、私にとっては「迷走の場所」でした。
赤い鳥居をくぐると枯山水があり、その向こうに五重塔のような東屋があります。池や石灯籠、ちょっとした竹藪もあります。
水、石、灯籠、砂利、生垣、竹といった日本庭園の要素がとにかくに詰め込まれている感じで、私にとっては組み合わせが斬新すぎて落ち着かない空間でした。何か事情や経緯があってこのような形になったのかもしれませんし、とてもきれいに作られた庭なのですが、違和感満載でした。
極めつけはこの蹲踞です!マンホールの蓋の上に無造作に置いてあって、しかも砂利が入っています!これは、石庭で有名な京都・龍安寺の茶室「蔵六庵」の露地にある「知足の蹲踞」ですよね!?
この写真を妹に送ったところ、偶然にも、ちょうど同じ時に妹が京都の龍安寺に行っていて、本物の「知足の蹲踞」の写真を送り返してくれました。
こちらが正解の写真です。
蹲踞は茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のことです。
この蹲踞は一見「五・隹・疋・矢」の文字に読めますが、水をためておくための中央の四角い穴を漢字部首の「口」と見ると、「吾唯足知」(ワレタダタルヲシル)と読めます。「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を謎解き風に図案化したものだそうです。
龍安寺の石庭の15個の石は、一度にすべての石を見ることができない配置になっているということで有名です。庭のどの位置から眺めても、15個の石のうち1個は他の石に隠れて見ることができません。15という数は十五夜=満月=完全を意味するとされています。物事は完成した時点から崩壊が始まるという思想のもと、わざと不完全な配置にしたといわれています。
「知足の蹲踞」は、石庭の石を一度に14個しか見ることがきないことを、不満に思わず満足する心を持ちなさいという戒めの意味が込められているともいわれています。
まさか、このジュネーブの植物園の「知足の蹲踞」、実はすごい深い意味があって、「マンホールの蓋の上に無造作に置かれ、水ではなく砂利を入れられたとしても、自分はすでに満ち足りた存在です。足りない部分にばかり目が行くと、それが苦しみの根源になるのです。あなたも足るを知りなさい。これでいいと思えれば、その時点で迷いや苦しみから解放されるのです。」という戒めのために、あえてこのような置き方がされているのでしょうか!?
蹲踞の写真を見て最初は爆笑していた妹と、ひとしきり議論になりました。
「でもこれ、実は足るを知る例なんじゃない!?」
「だったら逆に深すぎる」
「こんなでも満たされているということを身をもって教えてくれているのだとしたら」
「笑えなくなってきた。でも置き方間違いだから」
「1周回ったね」
「でも『私、本当はこんなんじゃない!』って言わない的な教えだったら」
「切なすぎるね」
「龍安寺の人がこれ見たら、これで足りてるんですって言うのかな」
「違うことも含めてあっているって言いそうだよ」
「禅おそるべし」
「禅ZEN。やっぱ置き方おかしいから」
「2周したね」
というような感じで、「いや、待てよ?」が半端なく、5周くらいしました。